いろは丸は坂本龍馬が命名したといわれています。
(伊呂波丸、以呂波丸という表記もある)
慶応3(1867)年4月、海援隊は大洲藩(現・愛媛県大洲市)よりいろは丸を借り入れ、米、砂糖などを積んで長崎を出航、瀬戸内海を航行しました。
しかし、航行中に、紀州藩の明光丸と衝突しました。船員は、明光丸に乗り移り、積荷も移し替えましたが、いろは丸は沈没してしまいました。
この海難事故をめぐっては、損害賠償をいろは丸側が請求し、最終的に紀州藩が支払いに同意したそうです。
なぜ多額の賠償金となったのか? いろは丸側は、最新式の住400丁を積んでいたと主張。
しかし、近年行った「推定いろは丸」の水中考古学調査ではみつかっていないそうだ。
坂本龍馬とおかね
いろは丸沈没・事件
これは、紅燈(こうとう)です。
航行上の規則に従い船や航空機が点灯する赤色灯のことです。
航行中を明示する舷灯として左舷に提げるものです。
これは、1969年12月製造 の油用ですが、
電球をLEDに替え、電源も充電池を使うことで、
現役に復帰ができました。
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